皆さんは道端で財布を拾ったら、どうしますか。
交番に届ける。
現代の日本では、そう考える人も多いのではないでしょうか。
では、交番のない江戸時代は、どうしていたと思いますか。
今回は、180年以上前の江戸時代に、11歳の子どもが財布を拾った出来事をご紹介します。
11歳の子どもが拾った財布
1843年(天保14年)。
現在の兵庫県豊岡市にあたる地域で、一つの財布が拾われました。
拾ったのは、たった11歳の子どもです。
財布の中には、銀札14匁(もんめ)が入っていました。
銀札とは、銀の価値を基準として使われていた紙のお金のことです。
子どもにとって、どれほど大きな金額に感じられたのでしょうか。
当時の物価や暮らしは現代と異なるため、単純に今の金額へ換算することはできません。
それでも、そのまま自分のものにしてしまえば、14匁すべてを手にできたかもしれません。
しかし、この財布は、落とし物として届け出られました。
その出来事は、現在も『豊岡市史』に記録されています。
拾った子どもへの謝礼は、なんと半分
この出来事で、もう一つ驚かされるのが謝礼です。
財布の中身は、銀札14匁。
そして、拾った子どもへの謝礼として定められたのは、その半分にあたる銀7匁でした。
現在の感覚では、かなり大きな割合に思えます。
つまり、拾った側にも、正直に届けたことへの謝礼が用意されていたのです。
※江戸時代の落とし物の謝礼は、地域や品物によって扱いが異なっていました。
財布の持ち主
では、財布を落とした人は、どうなったのでしょうか。
『豊岡市史』では、町奉行から、拾った子どもに半額の謝礼を渡し、財布を持ち主へ返すよう指示が出されたことが記されています。
実際に返されたかどうかまでは分かりませんが、もし謝礼の分だけ中身の減った財布が戻ってきたなら、持ち主はどんな気持ちだったのでしょうか。
「減ったとしてもお金が戻ってきてよかった」
そう思ったかもしれません。
しかし、お金が戻ってきたことだけがうれしかったとは限りません。
もしかすると、その財布は誰かから贈られたものだったかもしれません。
あるいは、仕事を頑張った自分へのご褒美として、手に入れたものだったかもしれません。
そうだとしたら、財布そのものが戻ってきたことを、心から喜んだかもしれません。
もちろん、財布がどのような品物だったのか、史料には書かれていません。
それでも、財布にはお金とは別の、持ち主だけが知る価値があった可能性もあります。
180年以上前から受け継がれるもの
なぜ、11歳の子どもは、拾った財布を自分のものにしなかったのでしょうか。
正しいことだと思ったからなのか。
それとも、財布をなくした人が困っていると考えたからなのか。
本当の理由は分かりません。
それでも、そこには現代の私たちにも通じるものを感じます。
日本を訪れた外国人が、落とした財布や貴重品が戻ってきたことに驚く。そんな話を耳にすることがあります。
もちろん、日本でもすべての落とし物が戻ってくるわけではありません。
それでも、拾ったものを届けるという行動は、今の日本社会にも見られます。
財布をなくした人は、きっと困っている。
中のお金だけでなく、財布そのものが大切な品物かもしれない。
そう考えて、持ち主の気持ちを想像する。
自分が得をすることよりも、困っている誰かのことを考える。
そんな親切心は、法律や制度だけで生まれるものではないのかもしれません。
180年以上前、豊岡で拾われた一つの財布。
そこには、今の私たちにも通じる、人を思いやる心を感じます。
時代が変わっても、誰かの困った気持ちを想像する優しさは、変わらずにあってほしいものです。
以上
「一流の思考ラボ」編集長でした。
参考・出典
史料についての補足: 史料編と通史編では、年代と年齢に相違があります。本記事は史料編の記述を参照しています。
