もし、明日のお米の価格が分かったら。
来月の金の価格が分かったら。
あるいは、半年後の為替相場が分かったら。
投資で利益を得ることは、ずっと簡単になるかもしれません。
しかし、未来の価格を正確に予測することは簡単ではありません。
それでも、相場の世界には巨額の富を築いた人々が存在します。
しかも、その歴史をたどると、約300年前の日本に行き着きます。
今回は、江戸時代から現代まで、相場の世界で成功した3人の人物を紹介します。
彼らは、未来をどのように予測し、予想が外れたときにはどう対応していたのでしょうか。
世界初の組織的な先物取引所は、江戸時代の日本にあった
1730年。
江戸幕府は、大坂の堂島で行われていた米の現物取引と先物取引を公認しました。
これが、世界初の組織的な先物取引所として知られる「堂島米会所」です。
当時のお米は、食べ物であると同時に、経済を支える重要な商品でした。
豊作になれば値下がりするかもしれない。
不作になれば値上がりするかもしれない。
そんな価格変動のあるお米を、商人たちは売買していました。
先物取引とは、将来の決められた時期に、あらかじめ取り決めた価格などの条件で売買する取引です。
例えば、半年後のお米を100万円で売る約束をすれば、その後に市場価格が変動しても、取り決めた価格(100万円)が取引の基準になります。
将来の価格変動に備える人もいれば、値動きから利益を得ようとする人もいます。
そして、堂島では驚くべきことに、実物のお米を受け渡さず、価格の差額だけを決済する取引も行われていました。
今から約300年前の日本に、現代の金融市場にも通じる仕組みが存在していたのです。
そんな米相場の世界で、後に「相場の神様」と呼ばれる人物が登場します。
① 本間宗久|米相場で富を築いた「相場の神様」
江戸時代、現在の山形県酒田市に生まれた本間宗久。
米相場で大きな成功を収め、本間家の財産を増やしたと伝えられています。
しかし、相場で失敗したという逸話も残っており、その生涯は必ずしも順風満帆だったわけではないようです。
本間宗久が重視したとされるのは、米の価格だけでなく、相場に参加する人々の心理でした。
価格が上がっているからといって、いつまでも上がり続けるとは限らない。
多くの人が値上がりを期待しているときこそ、冷静に相場を観察する。
そして、売買の好機が訪れるまで待つ。
こうした考え方が、本間宗久の相場術として伝えられています。
その名前とともに知られているのが、「酒田五法」です。
酒田五法とは、現在の株式投資などでも使われる「ローソク足」の形や組み合わせから、価格の動きを分析する手法です。
現代では、過去の値動きなどを分析する「テクニカル分析」の一種に分類されます。
※酒田五法やローソク足を本間宗久が考案したという説には、史料上の疑問も指摘されています。
江戸時代の米相場でも、価格の動きや人々の心理に注目する考え方が生まれていたのです。
では、時代が進み、取引の舞台がアメリカに移ると、相場の読み方はどう変わったのでしょうか。
② リチャード・デニス|売買のルールで成功した投資家
1970年代のアメリカ。
シカゴの商品先物市場で大きな成功を収めた投資家がいました。
リチャード・デニスです。
リチャード・デニスが得意としたのは、価格の上昇や下落の流れに乗って取引する方法でした。
例えば、価格が一定期間の高値を突破したら買い、上昇が続く間は利益を伸ばす。
反対に、予想と違う方向へ動いた場合には、あらかじめ決めた条件で取引を終了する。
こうした価格の流れに乗る手法は、現代でも「トレンドフォロー」と呼ばれています。
特に、一定期間の高値や安値を突破したタイミングで取引する方法は、「ブレイクアウト手法」と呼ばれています。
しかし、リチャード・デニスの面白いところは、投資で成功したことだけではありません。
優れた投資家は、生まれつきの才能で決まるのか。それとも、教育によって育てられるのか。
そんな疑問を持っていました。
そこで1980年代、投資経験の少ない人たちを集め、売買ルールを教える実験を始めます。
この集められた人たちは、「タートルズ」と呼ばれました。
実験に参加した人の中からは、その後も投資業界で活躍する人材が生まれました。
つまり、リチャード・デニスは、自分が成功した売買方法を他人に教えられるほど、判断をルール化していたのです。
もっとも、本人も後に大きな損失を経験しています。
ルールを守れば、必ず成功するわけではありません。
それでも、未来を正確に当てようとするのではなく、実際に生まれた価格の流れに従って行動する。
その考え方は、次に紹介する人物の手法にも共通しています。
③ ジョン・W・ヘンリー|数学的なモデルで相場に挑んだ男
最後に紹介するのは、ジョン・W・ヘンリーです。
現在では、アメリカの野球チーム「ボストン・レッドソックス」などのオーナーとして知られています。
しかし、大きな事業を築くきっかけの一つとなったのは、先物取引でした。
ジョン・W・ヘンリーは1981年に先物運用事業を始め、世界各国の市場で取引を行いました。
その後、事業は成長し、機関投資家や個人投資家の資金を運用するまでになります。
採用したのは、リチャード・デニスと同じく、価格の流れに乗る「トレンドフォロー」でした。
ただし、ジョン・W・ヘンリーは数学的なモデルを活用し、売買の判断をコンピューターでシステム化することに力を注ぎました。
現在では、こうした手法を「システマティック・トレンドフォロー」と呼びます。
価格が上昇傾向にあれば、その流れに乗る。
流れが変われば、あらかじめ決めたルールに従って取引を終了する。
こうした判断を、数学的なモデルに基づいて行っていたのです。
つまり、価格の天井や底を正確に予測するのではなく、実際の値動きに合わせて取引する仕組みを築いていました。
もちろん、コンピューターを使っても、損失を避けられるわけではありません。
それでも、人間の感情に左右されず、一貫した判断を続けようとする仕組みを築いたことが、ジョン・W・ヘンリーの特徴でした。
AIは、未来を読めるようになるのか?
江戸時代、本間宗久は米相場の動きや人々の心理に注目したと伝えられています。
リチャード・デニスは、価格の流れに乗るための売買ルールを体系化しました。
そして、ジョン・W・ヘンリーは数学的なモデルを活用し、売買の判断をコンピューターでシステム化しました。
時代が進むにつれて、相場を分析するための技術は大きく変化してきたのです。
そして現在では、AIを使って膨大なデータを分析し、価格の動きを予測しようとする試みも行われています。
約300年前の本間宗久が、現代のAIを見たら、何と言うでしょうか。
人間では処理しきれない量の情報を、短時間で分析できる。
当時の米商人にとっては、想像もできない技術でしょう。
しかし、どれほど分析技術が進歩しても、予想外の出来事が起こる可能性はなくなりません。
リチャード・デニス自身も、大きな成功を収めた後に損失を経験しました。
また、ジョン・W・ヘンリーの手法も、すべての取引で利益を出すことを前提としていません。
両者に共通していたのは、未来を必ず当てることよりも、実際の価格の動きにどう対応するかを重視していた点です。
AIによって、相場を分析する技術は今後さらに進化するかもしれません。
それでも、予測が外れた場合の対応まで考えておく必要があることは変わらないでしょう。
相場の歴史をたどってみると、未来を読む技術の進化だけでなく、もう一つの重要な課題が見えてきます。
未来をどう読むかだけでなく、未来が読めなかったときに、どう対応するか。
約300年前から続く相場の歴史は、AI時代を生きる私たちにも、そんな問いを投げかけているのかもしれません。
以上
『一流の思考ラボ』編集長でした。
参考・出典
- 日本取引所グループ「堂島米市場」
- 酒田市立資料館「第220回企画展」
- 日本テクニカルアナリスト協会「ローソク足の歴史に関する研究」
- FIA「Richard J. Dennis」
- 米国証券取引委員会(SEC)「John W. Henry & Company」
