今や世界中で使われているQRコード。
その生みの親が、実は日本人だということをご存じでしょうか。
コンビニでの決済。
飲食店のメニュー。
イベントのチケット。
商品の情報。
私たちは、日常のさまざまな場所でQRコードを目にしています。
あまりにも当たり前に存在しているため、「誰が作ったのだろう」と考えることさえ、ほとんどありません。
そのQRコードの開発を中心となって進めた人物が、
原昌宏さんです。
1957年、東京生まれ。
1980年に日本電装(現在のデンソー)へ入社し、バーコードリーダーなどの開発に携わってきた技術者です。
そして1994年、原さんたちが生み出したQRコードは、やがて日本を飛び出し、世界中で使われる技術になっていきました。
しかし、原さんの物語には、もう一つ興味深いところがあります。
これほど大きな可能性を持った発明を、
自分たちだけで独占しなかったことです。
なぜ、そんな決断をしたのでしょうか。
すべては、工場の「困った」から始まった
QRコードが生まれたきっかけは、世界を変えようという壮大な計画ではありませんでした。
始まりは、製造現場の小さな困りごとです。
1990年代に入ると、工場では多品種少量生産が増え、より細かな生産管理が必要になっていました。
しかし、当時使われていたバーコードには、記録できる情報量に限界がありました。
そのため、現場では一つの商品を管理するために複数のバーコードを使うこともあり、作業員が1日に約1,000回もバーコードを読み取ることさえあったといいます。
「もっと速く読み取れないか」
そんな製造現場の声を受けたのが、原さんでした。
最初はバーコードリーダーの性能を高めようとします。
しかし、やがて気づきます。
読み取る機械だけを改良しても、バーコードそのものに限界がある。
だったら、コード自体を新しく作ればいい。
大量の情報を入れられる。
小さなスペースにも印刷できる。
漢字やかなも扱える。
そして何より、素早く読み取れる。
そんな新しい二次元コードの開発が始まりました。
驚くことに、開発チームは、
原さんと、もう一人の技術者のわずか2人でした。
最大の壁は「どこにコードがあるのか」
情報をたくさん入れるだけなら、二次元コードにはすでに可能性がありました。
難しかったのは、
どうすれば機械が一瞬でコードを見つけられるか。
という問題です。
バーコードと違い、二次元コードは上下左右に情報を持っています。
工場で使うなら、コードが斜めになっていても、素早く読み取れなければなりません。
そこで原さんは考えました。
機械に、
「ここにコードがあります」
と知らせる目印を付ければいいのではないか。
こうして生まれたのが、現在のQRコードの三つの角にある大きな四角です。
QRコードを見ると、左上、右上、左下に特徴的な四角があります。
しかし、ただ四角を置けばいいわけではありません。
周囲に似た模様があれば、機械が間違えて認識してしまいます。
そこで原さんたちは、世の中にある印刷物を徹底的に調べました。
チラシ。
雑誌。
段ボール。
さまざまな印刷物に使われている文字や図形を調べ、
「世の中にほとんど存在しない模様」
を探したのです。
そしてたどり着いたのが、
黒と白の幅が「1:1:3:1:1」になる比率でした。
この特徴的なパターンによって、機械はQRコードの位置を高速で認識できるようになります。
現在、私たちがスマートフォンを向けるだけでQRコードを読み取れる。
その「一瞬」の裏側には、こうした試行錯誤がありました。
「世界で通用するものを作りたい」
原さんには、もう一つの思いがありました。
当時のデンソーは、自動車部品メーカーです。
優れた製品を作っていても、一般の人が街中で「デンソー」という名前を見る機会は多くありません。
原さんには、
いつか世界で通用するものを作りたい。
という思いがありました。
しかし当時、
「日本企業に世界標準のコードなど作れない」
「まして自動車部品メーカーには無理だ」
という声もあったといいます。
原さんは、むしろそれに反発しました。
そして約2年の開発を経て、1994年。
新しい二次元コードが完成します。
名前は、
Quick Response Code。
「素早く読み取れるコード」。
その頭文字を取って、
QRコード
と名付けられました。
ところが、原さんたちは「独占」しなかった
ここからが、この物語の面白いところです。
これだけ便利な技術を開発したなら、
「自分たちだけで使いたい」
「特許で囲い込んで利益を得たい」
そう考えても不思議ではありません。
実際、QRコードに関する特許は取得されています。
ところがデンソーウェーブは、規格化されたQRコードについて、特許権を行使しない方針を取りました。
つまり、一定のルールに従えば、誰でもQRコードを利用できる環境を作ったのです。
なぜなのか。
原さんは後年、その理由を語っています。
どれだけ優れたコードを作っても、読み取り機器や関連するシステムが整わなければ、自由に便利に使うことはできない。
だったら、自社だけですべてを抱えるのではなく、
ほかの企業にも参加してもらった方がいい。
QRコードを広く使えるようにすることで、多くの企業が読み取り機器やサービスを作れるようになります。
自分たちだけで市場を囲い込むのではなく、
みんなで市場そのものを大きくする。
そんな選択でした。
独占しなかったから、世界へ広がった
QRコードは、まず自動車部品の生産管理などで使われ始めました。
その後、さまざまな業界へ広がっていきます。
1997年には国際的な自動認識業界の規格となり、2000年には国際規格ISO/IEC 18004にも採用されました。
そして大きな転機となったのが、携帯電話です。
2002年にはQRコードを読み取れる携帯電話が登場。
URLへのアクセスやクーポンなど、一般の人にも利用されるようになります。
やがてスマートフォンが普及すると、QRコードの用途はさらに拡大しました。
決済。
航空券。
広告。
物流。
医療。
そして、さまざまな情報への入り口。
1994年に日本の製造現場で生まれた小さな四角は、いつしか世界中の人が使うものになっていました。
原さん自身も、ここまで一般の人に使われるとは想像していなかったと振り返っています。
「欲張りすぎると負ける」
原さんの考え方を象徴する、とても面白い話があります。
原さんの趣味の一つが、
囲碁です。
特許を開放した判断について尋ねられたとき、原さんは囲碁になぞらえて、「欲張りすぎると負ける」という趣旨の考えを語っています。
全部を自分のものにしようとしない。
相手にも少し渡す。
その代わり、自分も少し得る。
一見すると、自分の利益を減らしているように見えるかもしれません。
しかし、QRコードの歴史を見ると、まったく逆のことが起こりました。
独占しなかったことで、多くの企業が参加した。
多くの企業が参加したことで、使える場所が増えた。
使える場所が増えたことで、さらに利用する人が増えた。
その結果、
QRコードそのものが世界へ広がっていったのです。
「自分のものにする」より、「世の中のものにする」
発明という言葉を聞くと、
誰よりも早く新しいものを作ることを想像します。
もちろん、それもすごいことです。
しかし、原昌宏さんの物語には、その先があります。
作ったものを、どう世の中に届けるか。
自分だけで抱え込むのか。
それとも、多くの人に使ってもらうのか。
原さんは、技術者としての喜びについて、
自分が開発した技術や製品が、できるだけ多くの人に使われ、社会の役に立つこと
だと語っています。
QRコードという発明が本当にすごいのは、情報を四角い模様に詰め込んだことだけではないのかもしれません。
その技術を囲い込まず、多くの人が使える道を選んだこと。
そして、多くの企業と一緒に育てることで、世界中へ広げたこと。
世界的な発明を生み出しながら、
「これは自分たちだけのものだ」とは考えなかった。
その決断まで含めて、
原昌宏という技術者が残した、大きな発明だったのではないでしょうか。
次にQRコードを読み取るとき、
何気なくスマートフォンを向けるだけではなく、
世界で通用するものを作ろうと挑戦し、それを世界に共有した一人の日本人技術者がいたことを、少しだけ思い出してみてください。
以上
「一流の思考ラボ」編集長でした。
参考・出典
・原昌宏「QRコードの開発と普及―読み取りを追究したコード開発とオープン戦略による市場形成―」J-STAGE
・デンソーウェーブ「QRコード開発25周年!開発エピソードや25年間の軌跡を紹介した特設サイトをオープン」
