なぜ安藤百福は「常識」を疑い続けたのか|チキンラーメンを生んだ一流の思考法

1958年8月25日。

世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」が発売されました。

お湯をかけるだけで、ラーメンが食べられる。

今では当たり前ですが、当時としては画期的な商品でした。

開発したのは、日清食品の創業者・安藤百福さん。

自宅の裏庭に建てた小さな研究小屋で試行錯誤を重ね、48歳でチキンラーメンを生み出しました。

しかし、安藤さんの本当の面白さは、ここからです。

チキンラーメンが大成功した後、安藤さんは何をしたのでしょうか。

成功した商品を守り続けたのでしょうか。

いいえ。

今度は、その成功に満足することなく、まったく新しい形のラーメンを生み出したのです。

そして、その挑戦は95歳になっても終わりませんでした。

安藤百福さんは、成功した後も「常識」を疑い続けました。

その歩みには、仕事や経営にも通じる興味深い発想が隠されています。

ラーメンを食べるために並ぶ人たち

安藤さんがインスタントラーメンの開発を思い立つきっかけの一つとなったのは、終戦直後の大阪でした。

食べ物が不足していた時代。

寒空の下、一杯のラーメンを求めて人々が行列をつくっていました。

その光景を目にした安藤さんは、食べることの大切さを改めて実感します。

しかし、実際にインスタントラーメンの研究を始めたのは、それから何年も後のことでした。

自宅の裏庭に建てた研究小屋で、ほぼ一人で開発に取り組みます。

目指したのは、特別な調理技術がなくても、家庭で簡単に食べられるラーメン。

しかも、おいしく、保存でき、安全で、手頃な価格でなければなりません。

ところが、安藤さんは麺づくりの専門家ではありませんでした。

何度も試作品をつくっては失敗する日々が続きます。

特に難しかったのが、麺を長期間保存できるようにしながら、お湯を注げば短時間で食べられるようにすることでした。

その解決につながったのが、妻が天ぷらを揚げる様子だったと伝えられています。

麺を油で揚げて乾燥させれば、水分を取り除きながら、麺の内部にお湯が入り込むための構造をつくれる。

こうして「瞬間油熱乾燥法」が生まれました。

1958年8月25日。

世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」が発売されます。

当時の価格は1袋35円。

決して安い食品ではありませんでしたが、その便利さが評価され、人気商品へと成長していきました。

ここで注目したいのは、安藤さんが単にラーメンを安く提供しようとしたわけではないことです。

ラーメンを食べるために店へ行くという習慣そのものを変えたのです。

しかし、安藤さんは、この成功だけでは終わりませんでした。

アメリカで見つけた、予想外の食べ方

チキンラーメンの発売から約8年。

1966年、安藤さんはインスタントラーメンを海外に広めるため、欧米へ視察に出かけました。

アメリカのスーパーマーケットで、現地の担当者にチキンラーメンを紹介したときのことです。

そこで安藤さんは、思いがけない光景を目にします。

担当者たちは、チキンラーメンを小さく割って紙コップに入れ、お湯を注ぎ、フォークで食べ始めたのです。

日本なら、ラーメンは丼に入れて箸で食べるもの。

しかし、アメリカでは事情が違いました。

丼も箸も、必ずしも身近な食器ではありません。

日本の食べ方をそのまま海外に持ち込んでも、受け入れられるとは限らなかったのです。

ここで安藤さんは、新しい商品の可能性を見つけます。

最初から容器に麺を入れて販売すればいいのではないか。

そうすれば、丼を用意する必要もありません。

容器がお湯を注ぐ調理器具になり、そのまま食器にもなります。

しかし、思いつくことと、実際に商品にすることは別問題でした。

世界初のカップラーメンを生んだ「逆転の発想」

カップヌードルの開発には、さまざまな問題がありました。

お湯を注いでも容器が熱くなりすぎないこと。

保存できる具材を開発すること。

そして、大量生産するために、麺をカップの中へ正確に収めること。

特に最後の問題は厄介でした。

麺の塊を機械でつかもうとすると、形が崩れてしまいます。

しかも、カップの底まで落としてしまうのではなく、内部の適切な位置に固定しなければなりません。

安藤さんは、その解決方法を考え続けました。

そして、ある夜、寝床でひらめきます。

麺をカップに入れるのではなく、麺の上からカップをかぶせればいい。

麺を動かそうとするから難しい。

それなら、動かすものを逆にすればいい。

翌朝、研究所で試してみると、この方法で麺をうまく固定できました。

こうして大量生産への道が開け、1971年9月18日、世界初のカップ麺「カップヌードル」が発売されました。

ここには、二つの興味深い発想があります。

一つは、アメリカで見た食べ方を、日本とは違うからと否定しなかったこと。

もう一つは、麺をカップに入れるという作業そのものを逆転させたことです。

どちらも、それまでのやり方を当然だと考えていたら、生まれなかった発想かもしれません。

自分が生み出した成功まで変えてしまった

ここで、少し考えてみたいことがあります。

もし、自分が安藤さんの立場だったら、どうしていたでしょうか。

長年の研究を経て、チキンラーメンを発明する。

商品は大成功し、会社も成長する。

そんな状況で、わざわざ新しい商品の開発に挑戦するでしょうか。

それでも、安藤さんは挑戦しました。

なぜでしょうか。

その理由の一つは、チキンラーメンという商品そのものではなく、誰もが手軽にラーメンを食べられることを大切にしていたからではないでしょうか。

日本では、袋入りのチキンラーメンが便利だった。

しかし、海外では、丼や箸を必要とすることが普及の障害になる。

目的が同じでも、場所や生活習慣が変われば、最適な方法も変わります。

安藤さんは、チキンラーメンの成功を海外で再現しようとするだけでなく、海外の生活習慣に合わせて商品の形を変えました。

ここに、安藤さんの歩みから学べることがあります。

私たちは、一度うまくいった方法を繰り返そうとします。

それ自体は悪いことではありません。

成功した方法には、それだけの理由があるからです。

しかし、その方法が生まれたときと、今とでは、状況が変わっているかもしれません。

大切なのは、成功した方法を守ることなのか。

それとも、その方法によって実現したかった目的を守ることなのか。

この二つは、似ているようで違います。

成功した方法にこだわるあまり、本来の目的を見失っていないか。

安藤さんのカップヌードル開発は、そんな問いを投げかけてくれます。

95歳で挑戦したのは、宇宙で食べるラーメン

安藤さんの挑戦には、さらに続きがあります。

91歳のとき、安藤さんは宇宙食ラーメンの開発を宣言しました。

プロジェクトチームを結成し、自ら開発を指揮します。

2005年。

安藤さんが95歳のとき、日清食品が開発した宇宙食ラーメン「スペース・ラム」が、スペースシャトルに搭載されました。

宇宙でラーメンを食べる。

一見すると、普通のインスタントラーメンを持っていけば実現できそうです。

しかし、宇宙には地上とは異なる問題があります。

無重力に近い環境では、スープや麺が飛び散ってしまいます。

さらに、スペースシャトル内で使用できるお湯は約70℃。

地上と同じ方法では、思うように調理できません。

そこで開発チームは、スープにとろみをつけ、麺が飛び散らないように一口大の塊にしました。

麺の原料や配合も工夫し、約70℃のお湯でも食べられるようにしたのです。

興味深いのは、この宇宙食ラーメンにも、チキンラーメンの開発で生まれた瞬間油熱乾燥法が使われていることです。

約半世紀前に生み出した技術が、今度は宇宙で活用されました。

ここでは、チキンラーメンの開発とは少し違う学びが見えてきます。

過去の成功を否定する必要はない。

過去に生み出した技術も、新しい課題と組み合わせれば、まったく違う可能性が生まれる。

安藤さんの挑戦は、それを示しているように思います。

成功したやり方が、これからも正解とは限らない

チキンラーメン、カップヌードル、そして宇宙食ラーメン。

安藤百福さんは、食べる人や環境が変わるたびに、新しい方法を考え続けました。

しかし、変わらなかったものがあります。

それは、誰もが手軽に、おいしいラーメンを食べられるようにしたいという思いです。

私たちの仕事にも、似たようなことがあるのではないでしょうか。

長年続けてきた業務。

過去に成果を上げた営業方法。

以前は効果的だった商品やサービス。

成功した経験があるからこそ、そのやり方を変えるのは難しいものです。

しかし、成功したやり方が、これからも正解とは限りません。

安藤さんは、こんな言葉を残しています。

「明日になれば、今日の非常識は常識になっている。」

大切なのは、過去の成功を否定することではなく、今の状況に合った方法を考えることなのかもしれません。

最後に、一つ考えてみたいと思います。

もし、今からゼロの状態で、同じ目的を達成しようとしたら。

あなたは、もう一度その方法を選びますか?

以上

「一流の思考ラボ」編集長でした。


参考資料・出典


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