仕事で何か問題が起きたとき、こんな言葉を聞くことがあります。
「誰がやったの?」
「誰の確認不足だった?」
「これは誰の責任?」
確かに、責任の所在を明らかにしなければならない場面はあります。
しかし、ここで一つ考えてみたいことがあります。
「誰が悪かったのか」が分かっただけで、その問題は本当に解決したのでしょうか。
失敗したときに「犯人」を探す人と、「原因」を探す人。
この小さな違いが、長い目で見ると大きな成長の差になるのかもしれません。
失敗には、成長するための情報が詰まっている
そもそも、なぜ失敗から人は成長できるのでしょうか。
それは失敗すると、
「なぜ、うまくいかなかったのか?」
という問いが生まれるからです。
成功したときには、
「うまくいった」
で終わってしまうことがあります。
ところが失敗すると、
判断が遅かったのか。
準備が足りなかったのか。
確認する仕組みに問題があったのか。
そもそもの前提が間違っていたのか。
それまで見えていなかった問題が、表に出てきます。
つまり失敗とは、
「ここを変えた方がいい」と教えてくれる情報でもあるのです。
実際、心理学や組織研究でも、失敗や間違いを分析し、適切なフィードバックを受けることが学習につながることが指摘されています。
大切なのは、失敗そのものではありません。
失敗したあとに、何を見つけるかです。
人は「原因」より「犯人」を探してしまう
問題が起きたとき、
「誰が悪かったのか」
を知りたくなるのは自然なことです。
犯人が見つかれば、問題を理解したような気持ちになれるからです。
たとえば、ある書類の提出が遅れたとします。
調べてみると、担当者が提出期限を忘れていた。
そこで、
「担当者の確認不足でした。次から気をつけてください」
となれば、一応その問題は終わります。
しかし、本当にそれだけでしょうか。
なぜ期限を忘れたのか。
期限を知らせる仕組みはあったのか。
担当者しか期限を把握していなかったのか。
確認する人はいなかったのか。
業務が一人に集中しすぎていなかったか。
そこまで考えて初めて、本当の原因が見えてくることがあります。
「担当者が悪かった」で終われば、その人が気をつけるしかありません。
しかし仕組みに原因があると分かれば、次の失敗そのものを減らすことができます。
「誰が悪い?」は、思考を止めやすい
犯人探しのもう一つの問題は、
答えが見つかるのが早すぎることです。
「Aさんの確認不足」
「Bさんの判断ミス」
「自分はちゃんとやっていた」
これで説明がついてしまいます。
すると、それ以上「なぜ?」を考えなくなります。
しかし原因を探す人は、もう一歩先へ進みます。
「なぜ確認できなかった?」
「なぜその判断をした?」
「同じ状況なら、自分も間違えなかっただろうか?」
「仕組みをどう変えれば、次は防げるだろう?」
犯人が分かったところで、思考を終わらせない。
人ではなく、失敗が生まれた構造を見る。
この習慣がある人は、一つの失敗から得られるものが大きくなります。
自分が悪くなくても、学ぶことはできる
そして、ここが最も大切なところです。
たとえば仕事で、誰かのミスによってトラブルが起きたとします。
自分にはまったく責任がなかった。
そんなとき、
「自分のせいではない」
と思うこと自体は間違っていません。
実際に、その通りかもしれません。
しかし、
「自分の責任ではない」と「自分には学ぶことがない」は、まったく別の話です。
原因を探す人は、自分が悪くなくても考えます。
「なぜ、この失敗は起きたんだろう?」
「自分だったら防げただろうか?」
「同じ状況になったら、どうすればいいだろう?」
すると、他人の失敗だったはずの出来事が、自分の経験に変わります。
失敗から学ぶことに関する研究でも、自分自身の失敗だけでなく、他者の過去の失敗や失敗しかけた経験も、学習のための情報になり得ることが指摘されています。
自分で失敗しなくても、人は失敗から学べるのです。
犯人を探す人は、自分の失敗からしか学べない
仮に、自分が一年間に10回失敗するとします。
自分が失敗したときだけ、
「次は気をつけよう」
と考える人には、10回の学習機会があります。
でも、周りの人の失敗にも、
「なぜ起きたんだろう?」
と考える人ならどうでしょうか。
同僚の失敗。
上司の判断ミス。
他社で起きたトラブル。
ニュースで知った企業の失敗。
それらすべてを、自分の学びに変えることができます。
すると、一年間に得られる学習機会は10回ではありません。
何十回、何百回にも増えていきます。
だから、
犯人を探す人は、自分の失敗からしか学べない。
原因を探す人は、他人の失敗からも学べる。
この違いが積み重なれば、数年後の差は決して小さくないはずです。
失敗した人を責めても、失敗はなくならない
もちろん、失敗を何でも許せばいいという話ではありません。
同じ失敗を何度も繰り返したり、明らかな怠慢があったりすれば、本人の責任を問う必要もあります。
しかし、
責任を明らかにすることと、原因を考えることは両立します。
「誰の責任か」を決めて終わるのではなく、
「では、なぜ起きたのか」
まで考える。
研究でも、失敗から学ぶためには単に失敗を経験するだけでは不十分で、失敗について考え、分析し、フィードバックにつなげることが重要だとされています。
失敗は、それだけでは人を成長させません。
失敗を「材料」にして考えたとき、初めて成長につながるのです。
「誰が悪かった?」ではなく、「なぜ起きた?」
失敗は、できれば避けたいものです。
恥ずかしい。
悔しい。
誰かに迷惑をかけることもあります。
だからこそ、起きてしまった失敗をそのまま捨ててしまうのは、もったいない。
失敗の中には、
「次はどうすればいいか」
というヒントが残されています。
自分が失敗したなら、そこから学ぶ。
誰かが失敗したなら、そこからも学ぶ。
自分の失敗から学べる人は成長する。
他人の失敗からも学べる人は、もっと速く成長する。
次に何かうまくいかなかったとき、
「誰が悪かった?」
で終わらせるのではなく、
「なぜ起きた?」
と、もう一つだけ問いを重ねてみる。
その小さな思考の違いが、数年後には大きな成長の差になっているのかもしれません。
以上
「一流の思考ラボ」編集長でした。
参考・出典
・Dahlin, K. B., Chuang, Y. T., & Roulet, T. J. (2018). Opportunity, Motivation, and Ability to Learn from Failures and Errors: Review, Synthesis, and Ways to Move Forward. Academy of Management Annals, 12(1).
・Metcalfe, J. (2017). Learning from Errors. Annual Review of Psychology, 68, 465–489.
・Cannon, M. D., & Edmondson, A. C. (2005). Failing to Learn and Learning to Fail (Intelligently): How Great Organizations Put Failure to Work to Innovate and Improve. Long Range Planning, 38(3), 299–319.
