前回までの偉人株式会社
歴史上の偉人7人が、それぞれ1,000万円を出資して生まれた「偉人株式会社」。
彼らが最初の商品として考えたのが、
「失敗製造機(仮)」
しかし市場調査を進めるうちに、この商品の目的は大きく変わっていきました。
失敗させることが目的なのではない。
その人が持っている力を、もっと引き出すこと。
そして7人は、企業から集めた声をもとに、商品の姿を少しずつ具体化していきます。
一人ひとりに合わせた体験。
選択肢ではなく、自分自身で判断する世界。
一人だけでなく、チームでも利用できる。
失敗しても終わらず、その後の立て直しまで経験する。
そして、本来なら数年かかる経験を重要な判断場面へ圧縮する。
「3年分の失敗を、1日で。」
しかし、商品の姿が見えてきたことで、新たな問題も浮かび上がりました。
「社員について、どこまで分析するんですか?」
その人に必要な経験を作るには、その人を知る必要がある。
では――。
人の可能性を引き出すために、人をどこまで知っていいのでしょうか。
偉人株式会社の7人
今回の中心人物:クレオパトラ|CMO(最高マーケティング責任者)
顧客が何を求めているのかを考え、商品の価値をどう届けるかを設計する。
今回の中心人物:諸葛亮|CSO(最高戦略責任者)
市場や競争を分析し、会社がどこでどう戦うかを考える。
劉邦|CEO(最高経営責任者)
会社全体の方向を決め、最終判断をする。
徳川家康|COO(最高執行責任者)
決まった方針を実行に移し、会社を動かす。
豊臣秀吉|営業責任者
商品を売り、顧客を増やす。
坂本龍馬|事業開発・提携責任者
新しい事業を探し、社外の企業や人とつなぐ。
ガリレオ・ガリレイ|商品開発・研究開発(R&D)責任者
アイデアを形にし、技術や品質を検証する。
「その人を知る」って、どこまで?
「社員について、どこまで分析するんですか?」
クレオパトラが画面に映した質問を、7人はしばらく眺めていました。
最初に口を開いたのはガリレオでした。
「最初から、そんなに情報は必要ないんじゃないか?」
クレオパトラが聞き返します。
「どういうこと?」
「本人がどう判断する人間なのかは、装置の中で解析すればいい。」
秀吉が口を挟みました。
「でも、家族のことまで分かれば、もっとその人のことが分かるんじゃないか?」
「それは必要?」
クレオパトラがすぐに返します。
秀吉が黙りました。
諸葛亮が言いました。
「我々が知りたいのは、その者のすべてではありません。」
「では、何を知る?」
「仕事の中で、どんな状況になると、その人の判断に癖が現れるのか。」
そのために、最初から私生活まで詳しく知る必要はない。
履歴書。
職歴。
仕事内容。
これまでの経験。
保有しているスキル。
そして本人が、
「あなたは今、何を目指していますか?」
という問いに答える。
まず使うのは、その人の仕事と目標に関係する情報だけ。
クレオパトラが言いました。
「必要以上に、人間を知ろうとしない。」
それが、偉人株式会社の一つ目の原則になりました。
本当にその人が分かるのは、体験が始まってから
「必要以上に、人間を知ろうとしない。」
クレオパトラの言葉を聞いて、ガリレオがうなずきました。
「それでいい」
秀吉が意外そうな顔をします。
「いいのか? 情報が多い方が正確なんじゃないのか?」
「最初から、その人のすべてを知る必要はない」
ガリレオはホワイトボードの前に立ちました。
「この装置は、体験が始まってからも、その人を解析し続ける。」
例えば本人が、
「私は冷静に判断できます」
と答えたとしても、本当にそうなのかは分からない。
「私は人の意見をよく聞きます」
と答えても、実際に追い込まれたときは違うかもしれない。
ガリレオが続けます。
「だから、本人が自分について語った情報だけで、その人を決めつけない」
例えば、仮想世界の中で突然、大口顧客から契約解除を告げられる。
どう反応するのか。
すぐに決断するのか。
情報を集めるのか。
誰かに相談するのか。
一人で抱え込むのか。
あるいは、予想もしなかった行動を取るのか。
AIは、その一つ一つを解析していく。
諸葛亮が尋ねました。
「つまり、最初に与える情報は入口にすぎない?」
「そうだ」
ガリレオは答えました。
「その人が何者なのかを、最初から決めるんじゃない。」
「その人がどう判断するのかを、体験しながら知っていく。」
クレオパトラが言いました。
「それなら、私生活まで詳しく調べる必要もないわね」
「むしろ、その方がいい」
ガリレオは続けます。
「本人が『自分はこういう人間だ』と思っていることと、実際の行動が同じとは限らないからな」
そして――。
その判断によって、次に現れる世界も変わる。
最初から完成したシナリオが用意されているわけではない。
本人の目標や仕事上の情報をもとに、最初の世界が生成される。
そこで本人が判断する。
AIがその判断を解析する。
その結果から、次の状況が生成される。
さらに判断する。
さらに世界が変わる。
その繰り返しによって、
その人だけの体験が出来上がっていく。
諸葛亮が言いました。
「なるほど。体験そのものが、分析でもあるわけですね。」
「そういうことだ」
クレオパトラが続けます。
「同じ機械を使っても、同じ経験にはならない」
ガリレオがうなずきました。
「本人が違えば、出来上がる世界も違う。」
さらに複数人で利用すれば、参加する人の組み合わせによっても展開が変わる。
失敗製造機は、単に失敗を見せる装置ではありません。
人の判断を解析しながら、その人に必要な経験そのものを生み出していく装置。
商品の特徴が、さらに一つ見えてきました。
では、会社は何を見ることができる?
しかしクレオパトラは、もう一つの質問を映しました。
「体験した結果を、会社はどこまで見ることができるんですか?」
今度は誰もすぐに答えませんでした。
この商品を利用するのは社員。
しかし、お金を払うのは企業です。
企業からすれば、社員がどんな判断をしたのか知りたい。
どんな弱点があったのか。
誰がリーダーに向いているのか。
誰と誰を組ませればいいのか。
それが分からなければ、研修へお金を払う意味がないかもしれません。
秀吉が言いました。
「だったら、全部見せればいいんじゃないか?」
クレオパトラが首を振ります。
「本当に?」
例えば仮想世界の中で、本人が大きな失敗をした。
誰にも相談できなかった。
途中で判断を誤った。
感情的になった。
その会話や行動のすべてを、会社が後から自由に見ることができる。
それを知った社員は、
本当に自由に判断できるでしょうか。
諸葛亮が言いました。
「見られていることを意識すれば、人は『良く見える判断』をするかもしれません。」
それでは、本来見たかったものが見えなくなる。
「経験」と「データ」を分ける
そこで家康が言いました。
「分けてはどうでしょう」
「何を?」
「本人が経験するものと、会社が受け取るものです。」
本人が持ち帰るのは、
失敗した経験そのもの。
どんな状況で迷ったのか。
どんな気持ちになったのか。
誰に何を言ったのか。
どう立て直したのか。
一方、会社へ渡すのは、
仕事上の成長に役立つ、判断や行動の傾向。
例えば、
「情報が不足した状態では、決断を急ぐ傾向が見られた」
「チーム内で意見が割れた際、調整役として機能した」
「問題発生後、周囲へ助けを求めるまでに時間がかかった」
「状況が悪化したあと、方針を切り替えることができた」
といった情報です。
体験の細部まで会社へ渡す必要はない。
クレオパトラが言いました。
「その方が、社員も安心して使えるわね」
人を評価する機械にはしない
すると秀吉が言いました。
「でも、それだけ分かるなら、人事評価にも使えるんじゃないか?」
会議室が静かになりました。
昇進。
給与。
異動。
降格。
採用。
もし失敗製造機の結果が、そうした判断に使われるようになったらどうなるのか。
社員は失敗しないことを目指すようになるかもしれません。
しかし、それでは商品の目的と逆です。
劉邦が言いました。
「人を評価するために作ってるんじゃないだろ?」
「では、何のためです?」
家康が尋ねます。
劉邦は答えました。
「人を活かすためだ。」
例えば、
この人は一人で考える時間を与えた方が力を発揮する。
この人はチームの中で調整役になれる。
この人は判断力が足りないのではなく、情報を集めすぎて動けなくなる。
そんなことが分かれば、
育成方法を考えることができる。
チームの組み方を考えることもできる。
新しい仕事へ挑戦させる材料にもできる。
しかし、
「あなたは68点だから昇進できません」
という使い方はしない。
最終的に人をどう活かすかを決めるのは、人間です。
劉邦が言いました。
「人を活かすのは、人だ。」
こうして、もう一つの原則が決まりました。
人を評価するためではなく、人の可能性を見つけるために使う。
「これ、毎年受けられませんか?」
ここでクレオパトラが、前回の市場調査で出ていた一つの声を思い出しました。
「これ、一回だけじゃなくて、毎年受けさせることはできないんですか?」
そのときは、単なる利用方法の一つだと思っていました。
しかし、今なら意味が違って見えます。
今年、ある社員が失敗製造機を体験する。
判断の癖が見える。
一年間、実際の仕事を経験する。
そして翌年、もう一度入る。
同じ問題を与える必要はありません。
なぜなら、
人が成長すれば、必要な失敗も変わるからです。
去年は一人で抱え込んでしまった。
でも今年は、早い段階で仲間に相談できた。
去年は判断できなかった。
今年は、不完全な情報でも決断できた。
あるいは――。
「去年のあなたなら失敗していた。でも、今年のあなたは立て直した。」
そんな変化が見えるかもしれません。
家康が言いました。
「人間ドックのようなものですね」
「人間ドック?」
「毎年受けることで、今の状態だけではなく、前年からの変化も分かる。」
クレオパトラが少し考えました。
「それなら――」
そして資料に書き込みます。
未来型成長支援ドック(仮)
秀吉が笑いました。
「また仮の名前が増えたな」
「名前はあとであなたが売れるものを考えて」
「任せろ」
一度きりの研修ではない。
人がどう成長しているのかを、毎年確認する。
失敗製造機から、新しいサービスの可能性が生まれました。
「で、いくらなんだ?」
秀吉が腕を組みました。
「商品もだいぶ見えてきた」
「そうね」
「なら、最後に大事なことを決めよう」
全員が秀吉を見ます。
「一人、いくらで売る?」
クレオパトラが笑いました。
「やっぱり、そこに来るのね」
企業への市場調査でも、同じ質問が出ていました。
「一人いくらですか?」
「機械を買うんですか?」
「外部の施設へ社員を連れて行くんですか?」
「自社に置くことはできますか?」
しかし、まだ答えはありません。
龍馬が言いました。
「最初から機械そのものを売る必要はないんじゃないか?」
例えば偉人株式会社が専用施設を作り、企業から社員に来てもらう。
企業が買うのは機械ではなく、
「社員に経験させるサービス」
です。
最初は自分たちの施設で運営する。
技術や運用方法が確立したら、企業専用施設や機械の提供を考えることもできる。
諸葛亮が言いました。
「選択肢はあります。ただし、価格を決めるにはまだ足りないものがあります」
秀吉が聞きます。
「何が?」
今度は家康が答えました。
「原価です。」
いくらなら企業が払うのか。
それだけで価格は決められない。
装置を作るのにいくらかかるのか。
一日に何人利用できるのか。
運営に何人必要なのか。
保守にはいくらかかるのか。
そして――。
そもそも、この装置を本当に作れるのか。
ここで、会議室の視線が一斉にガリレオへ向きました。
市場が教えてくれた「八つの宿題」
ガリレオは、文字だらけになったホワイトボードの前に立ちました。
市場調査から始まった会議で、いつの間にか商品の条件がいくつも決まっていました。
ガリレオは、新しいスペースに一つずつ書き直していきます。
一、その人の目標や仕事上の情報をもとに、その人に合った仮想世界が生成されること。
二、体験中の会話・判断・行動を解析し、その人の傾向に合わせて世界が変化し続けること。
三、選択肢ではなく、本人が自由に話し、判断し、行動できること。
四、複数人が同じ仮想世界に入り、チームとしての判断も体験できること。
五、数年分の経験を、重要な判断場面へ圧縮できること。
六、失敗しても終わらず、その後の立て直しまで体験できること。
七、それらを安全に行い、本人のプライバシーも守ること。
秀吉は、しばらくホワイトボードを眺めていました。
「……できるのか?」
ガリレオは答えました。
「だから、それを調べる。」
すると家康が言いました。
「もう一つあります」
ガリレオが振り返ります。
「何だ?」
「それを、いくらで作れるのか。」
ガリレオは黙ってホワイトボードへ向き直りました。
そして、一番下に書き加えます。
八、開発費。
クレオパトラは、その八つの項目を眺めました。
市場に出て、顧客の声を聞く前にはなかったものばかりです。
市場は、商品の答えを教えてくれたわけではありません。
しかし、
何を考えなければならないのかを教えてくれた。
「誰が欲しいのか」から始まった市場調査は、
「何のための商品なのか」を変え、
「どんな体験を作るのか」を変え、
ついには、
「何を作らなければならないのか」まで変えました。
マーケティングは、ここで一度終わります。
次に答えるべき問いは――。
この商品は、本当に作れるのか。
偉人株式会社の商品開発が、いよいよ始まります。
※本記事は、歴史上の人物の史実や実在する技術・研究を参考にしたフィクションです。登場人物の会話や「偉人株式会社」、商品・サービスは架空のものです。
参考・出典
・OECD「Using Artificial Intelligence in the workplace: What are the main ethical risks?」
・NIST「Artificial Intelligence Risk Management Framework(AI RMF)」
