会社にとって「資産」と聞くと、何を思い浮かべるでしょうか。
現金。
土地や建物。
商品。
特許。
顧客データ。
もちろん、どれも大切な資産です。
しかし、これからの時代、もう一つ大きな資産が加わるのかもしれません。
それは、
「経営者の頭の中」です。
2026年9月1日、丸亀製麺などを展開するトリドールホールディングスが、興味深いAIを社内に導入したことを発表しました。
その名も、
「AI粟田さん」
です。
創業者の「判断基準」をAIにする
「AI粟田さん」は、トリドールHDの創業者であり、代表取締役社長兼CEOを務める粟田貴也氏の知見や考え方を反映したAIです。
単に粟田氏のプロフィールや会社の情報を答えてくれるAIではありません。
過去のメディアでの発言。
講演資料。
社内向けの経営方針資料。
さらに、本人へのインタビュー。
こうした情報をもとに、
「粟田氏なら、どう考えるのか」
という部分までAIに反映させています。
経営方針だけでなく、創業期のエピソードや「食の感動体験」に込めた思い、繁盛店をつくるための考え方、そして時代が変わっても守るべきものまで言語化したといいます。
つまりAIに入れたのは、単なる「知識」だけではありません。
その知識を使って、どう判断するのか。
そこまで残そうとしているのです。
「社長ならどう考える?」をいつでも聞ける
トリドールHDは、世界で約2,100店舗を展開しています。
会社がここまで大きくなれば、当然ながら創業者がすべての社員と直接話すことはできません。
しかし、現場では毎日のように判断が求められます。
新しい商品をつくるべきか。
新しい店舗をどうつくるか。
何を変えて、何を守るのか。
数字だけでは決められないこともあります。
そんなときに、
「粟田さんなら、どう考えるだろう?」
と相談できる相手が「AI粟田さん」です。
たとえば商品開発では、「それはお客さまの五感を揺さぶるか?」といったトリドール独自の視点からフィードバックを得ることが想定されています。
まずは商品開発や店舗建設などに携わるマネージャー以上の約90人を対象に展開し、今後はより幅広い職種への展開も検討されています。
しかも、普段使っているMicrosoft Teamsから相談できます。
社長が会議室にいなくても、
「社長の判断基準」と対話できる。
これは、かなり面白いAIの使い方ではないでしょうか。
会社が大きくなるほど、「創業者の思考」は薄まっていく
企業には、成長すると起きやすい問題があります。
創業当初は、社長の考え方が会社の隅々まで伝わっています。
社員が10人なら、社長が直接話せるかもしれません。
100人でも、まだ何とかなるでしょう。
しかし、それが1,000人、1万人となり、海外にも拠点が広がったらどうでしょうか。
社長がすべての現場へ行くことはできません。
そこで企業はこれまで、
経営理念をつくり、
マニュアルをつくり、
研修を行い、
社内報をつくってきました。
もちろん、それらは今後も必要でしょう。
ただ、一つ難しいものがあります。
それが、
「なぜ、その判断をしたのか」
という部分です。
マニュアルには、
「こうしてください」
とは書けます。
しかし、
「なぜ、そうするのか」
「条件が変わったら、何を優先するのか」
「二つの正解がぶつかったら、どちらを選ぶのか」
まで残すのは簡単ではありません。
優れた経営者ほど、長年の経験から身につけた判断基準を持っています。
しかし、その多くは本人の頭の中にあります。
これは企業にとって、ものすごく大きな「見えない資産」なのかもしれません。
マニュアルではなく、「考え方」を残す
今回の取り組みで特に興味深いのは、「AI粟田さん」が答えを教えるだけのAIではないことです。
開発に使われた「リーダーズAI」は、一方的に答えを提示するだけでなく、その企業特有の考え方に基づいて問い返しや深掘りを行い、利用者自身に考えさせる設計になっています。
つまり、
「社長ならこうする」
と答えをコピーするのではなく、
「社長なら、何を基準に考えるのか」
を共有しようとしているのです。
ここには大きな違いがあります。
答えだけを覚えた組織は、環境が変わると対応できなくなります。
しかし、判断基準を共有している組織なら、状況が変わっても自分たちで考えられます。
AIによって受け継がれるものが「答え」ではなく「考え方」だとすれば、これは単なる業務効率化とはまったく違う可能性を持っています。
経営者の「暗黙知」が、会社の資産になる
これまで、会社が人から受け継ぐことが難しかったものがあります。
いわゆる「暗黙知」です。
ベテラン社員が、
「なんとなく、こっちだと思う」
と判断する。
優秀な営業担当者が、
「このお客様には、この提案はしない方がいい」
と感じる。
経営者が、
「数字はいい。でも、この事業はやらない」
と決める。
そこには経験によって培われた判断があります。
ところが、その人が会社を離れてしまえば、その判断基準まで失われてしまうことがあります。
もしAIによって、その「なぜ」を少しずつ言語化できるようになれば、
人の経験そのものを、会社に残せるようになるかもしれません。
これは創業者だけの話ではありません。
営業のエース。
商品開発の責任者。
工場の熟練技術者。
優秀な店長。
長年顧客を見てきた担当者。
会社の中には、まだ言葉になっていない知識がたくさん眠っています。
AIの役割は、それを表に出すことにもなっていくのかもしれません。
もし、一流経営者の「思考」と話せるようになったら
ここからは、少し未来の話です。
今回、トリドールがAIにしたのは、自社の創業者の判断基準でした。
しかし、この考え方をもっと広げたらどうなるでしょうか。
世の中には、優れた経営者が残した著書、講演、インタビュー、経営判断の記録が数多くあります。
もちろん、実在する人物の名前や人格をそのままAIとして利用する場合には、権利や許諾など慎重に考える必要があります。
それでも、適切な権利処理のもとで、さまざまな経営思想や意思決定の事例をAIが参照できるようになれば、
一人の経営者が、複数の優れた「思考」と対話しながら会社を経営する
ということも、将来的には考えられます。
新しい事業を始めようと思ったとき。
価格を決めるとき。
撤退を考えるとき。
組織づくりに悩んだとき。
違う経営思想を持ったAIに意見を聞き、それぞれの視点を比べてみる。
そんな「仮想経営会議」を、一人の起業家でも持てるようになるかもしれません。
これは、AIに経営を任せるという話ではありません。
むしろ逆です。
たくさんの考え方に触れたうえで、
最後に決めるのは、人間です。
AI時代ほど、「自分はどう考えるか」が問われる
どれだけ優秀なAIがあっても、
「この会社をどんな会社にしたいのか」
までは決めてくれません。
何を大切にするのか。
何を捨てるのか。
どんな会社を残したいのか。
そこには経営者自身の意思が必要です。
だから、AIが進化すればするほど、経営者に必要なのは「AIよりたくさん知っていること」ではなくなるのかもしれません。
必要になるのは、
さまざまな意見を聞いたうえで、自分の判断基準で最後に決める力。
そして、その判断基準こそが、いつか会社にとって大きな資産になる。
トリドールの「AI粟田さん」は、そんな未来を少しだけ先に見せてくれているように思います。
これまで会社に残してきたのは、
商品や設備、データ、マニュアルでした。
これからは、
「なぜ、この会社はそう考えるのか」
という思考まで残せる時代になるのかもしれません。
経営者の「頭の中」が、会社の資産になる。
AIの本当の可能性は、仕事を代わりにやってくれることだけではなく、
人が積み重ねてきた「考え方」を、次の人へ渡すことにあるのかもしれません。
以上
「一流の思考ラボ」編集長でした。
参考・出典
・DeNA公式|トリドールHD、創業者の“判断基準”をAI化した「AI粟田さん」を導入
