精肉売り場から常勝球団代表へ。瀬戸山隆三がダイエーホークスで変えた「経営の常識」

1977年。

ダイエーに入社した一人の青年が、最初に任された仕事は**「肉を売ること」**でした。

精肉売り場に配属され、肉について学ぶために専門学校にまで通ったというその青年。

それから約20年後。

彼は福岡ダイエーホークスの球団代表として、王貞治さんを監督に迎え、後の「常勝ホークス」の土台をつくる仕事に携わることになります。

その人物が、瀬戸山隆三さんです。

プロ野球選手だったわけでも、野球一筋の人生を歩んできたわけでもありません。

スタート地点は、スーパーの精肉売り場。

ではなぜ、そんな人物がプロ野球球団の経営を任され、後の常勝球団の礎を築くことができたのでしょうか。

そこには、業界が変わっても通用する**「経営の本質」**がありました。


「南海ホークスを買収せい」

瀬戸山さんの人生が大きく変わったのは、32歳のときでした。

ダイエー創業者・中内㓛さんから突然命じられます。

南海ホークスの買収を調査すること。

それまでプロ野球の世界とはほとんど縁がありません。

ところが調べてみると、想像以上に厳しい現実が見えてきました。

南海から伝えられていた年間観客動員数は88万人。

しかし実態を調べると、約30万人だったといいます。

さらに、年間約30億円の赤字。

つまりダイエーが手に入れようとしていたのは、華やかな「プロ野球球団」というより、

巨額の赤字を抱えた一つの事業

だったのです。

ここから、瀬戸山さんたちの「経営」が始まります。


オーナーが望んだ「神戸」を選ばなかった

ダイエーの中内さんは当初、新しいホークスの本拠地として神戸を希望していました。

ダイエーにとっても馴染みの深い土地です。

しかし瀬戸山さんたちは、市場を見ました。

当時の関西には絶大な人気を持つ阪神タイガースがあり、他にも複数のプロ野球球団が存在していました。

そこへ、もう一球団入る。

果たして勝てるのか。

一方、別の場所ではまったく違う現象が起きていました。

福岡です。

かつて西鉄ライオンズが本拠地としていた福岡からプロ野球球団がなくなって約10年。

地元ではプロ野球球団を求める運動が起こり、誘致を求める署名は100万人規模に達していました。

瀬戸山さんたちは考えます。

「ビジネスとして考えるなら、福岡ではないか」

そして中内さんを説得。

1989年、福岡ダイエーホークスが誕生します。

ここに一つ目の大切な経営のヒントがあります。

「自分たちが売りたい場所」ではなく、「求められている場所」へ行く。

経営者が進出したい市場と、お客様が待っている市場。

必ずしも同じではありません。

100万人もの人が、

「プロ野球が欲しい」

と言っている。

これほど強い「需要のサイン」はありません。


約30万人だった観客は、福岡移転初年度に125万人へ

結果は、数字に表れました。

南海時代、瀬戸山さんが実態として把握した年間観客数は約30万人。

ところが福岡移転初年度の1989年、ホークスの年間観客動員は約125万人になります。

さらに福岡ドームが開業した1993年には約246万人。

2001年には、約308万人に達しました。

もちろん、これは瀬戸山さん一人の力ではありません。

選手、監督、球団職員、地域、そしてファン。

多くの人たちが積み重ねた結果です。

しかし、瀬戸山さんたちが早い段階から考えていたことがあります。

「野球の試合を開催して、チケットを売るだけでは球団経営は成立しない」

ということです。

ファンクラブをつくる。

球場へ来ること自体を楽しんでもらう。

地域との関係をつくる。

そして球団と球場を含めた、一つの大きな事業として考える。

つまり、

「野球を見る場所」を売るのではなく、「ホークスのある生活」をつくる。

球団経営そのものの発想を変えていったのです。


そして、もう一つ足りなかったもの

しかし、ビジネスの仕組みだけでは人気球団にはなれても、常勝球団にはなれません。

必要だったのは、

勝てるチーム

でした。

そこで重要な役割を担ったのが、球界屈指の「組織づくりの達人」として知られた根本陸夫さんです。

根本さんは瀬戸山さんに、壮大な構想を伝えます。

「俺の次はワンちゃんだ」

ワンちゃんとは、もちろん王貞治さん。

世界のホームラン王。

そして、巨人の象徴です。

根本さんが描いていたのは、

王貞治監督率いるホークスと、長嶋茂雄監督率いる巨人が日本シリーズで戦うこと。

「ON対決」でした。

そして、その王さんを口説く仕事を任されたのが瀬戸山さんでした。


「私は巨人しか知らない」

しかし、これは簡単な話ではありません。

王さんは東京で生まれ、現役時代から監督時代まで巨人一筋。

まして、縁もゆかりもない福岡です。

王さんにとって、簡単に受けられる話ではありませんでした。

瀬戸山さんは、何度も王さんのもとへ足を運びます。

半年近くにわたる交渉だったといいます。

そこで王さんに伝えた言葉の一つが、非常に印象的です。

「巨人にいらっしゃったら、長嶋さんがいる限りずっと次男のままです。ホークスの長男になってください」

「福岡に来てください」ではありません。

「いい条件を用意します」でもありません。

瀬戸山さんが示したのは、

「あなたがホークスへ来る意味」

でした。

福岡ドームという新しい舞台がある。

プロ野球人気をもう一度盛り上げたい。

そして、王と長嶋の「ON対決」を実現したい。

王さん個人の転職ではなく、

「プロ野球をもう一度盛り上げる」という大きな物語

を提示したのです。

やがて王さんは決断します。

1995年。

福岡ダイエーホークスの監督に、王貞治さんが就任しました。


世界の王を連れてきても、すぐには勝てなかった

しかし、ここからが本当の苦難でした。

世界の王を監督に迎えた。

これでホークスは強くなる。

多くの人がそう期待したでしょう。

ところが、結果はすぐには出ませんでした。

そして1996年には、敗戦後の王監督や選手たちにファンから生卵が投げつけられる、いわゆる**「生卵事件」**まで起こります。

それほどまでに、期待と現実には大きな差がありました。

普通の会社なら、どうでしょう。

「トップを替えよう」

「改革は失敗だった」

そんな声が出ても不思議ではありません。

しかしホークスは、そこで方針を投げ出しませんでした。

選手を獲得し、育て、勝てる組織をつくる。

その積み重ねの中から、

城島健司。
松中信彦。
井口資仁。

といった、後の黄金時代を支える選手たちが中心になっていきます。

「スター監督を連れてくれば勝てる」のではなく、「スター監督が勝てる組織」をつくる。

ホークスは時間をかけて、その土台をつくっていったのです。


1999年、ついに「常勝ホークス」への扉が開く

そして1999年。

福岡ダイエーホークスは、ついにパ・リーグを制覇。

日本シリーズも勝ち抜き、日本一になります。

福岡移転から11年目。

王監督就任から5年目でした。

そして翌2000年。

かつて根本さんが描いていた夢が、本当に現実になります。

王貞治監督のダイエーホークス。

対するのは、

長嶋茂雄監督の読売ジャイアンツ。

日本中が注目した「ON対決」です。

精肉売り場で肉を売っていた青年が、32歳で突然プロ野球の世界へ入り、

南海ホークスを買収し、

本拠地を福岡へ移し、

球団経営をつくり直し、

王貞治さんを福岡へ呼び、

そして日本中が注目するON対決へ。

瀬戸山隆三さんのキャリアを振り返ると、不思議なことに気づきます。

最初から「野球の専門家」だったわけではありません。

だからこそ、

「プロ野球とはこういうものだ」

という業界の常識に縛られなかったのかもしれません。


精肉とプロ野球は、本当に違う商売なのか

精肉売り場では、

「どうすれば、この肉を買ってもらえるだろう」

と考える。

プロ野球では、

「どうすれば、この球場へ来てもらえるだろう」

と考える。

扱う商品は、まったく違います。

しかし経営という視点から見れば、本質はそれほど違わないのかもしれません。

お客様は何を求めているのか。

どこに需要があるのか。

どうすれば選んでもらえるのか。

どんな人材が必要なのか。

そして、

その人が動きたくなる理由は何なのか。

福岡を選んだときもそうでした。

100万人の署名という「需要」を見た。

王さんを招聘したときもそうでした。

「こちらが来てほしい理由」ではなく、

「王さんが福岡へ行く意味」

をつくった。

精肉売り場でも、プロ野球でも。

業界が変わっても、商売の本質は変わらないのかもしれません。


今日から使える「一流の思考」

もし今、

「この業界では、これが普通だから」

と思っていることがあれば、一度こう問いかけてみてください。

「もし、この業界をまったく知らない人が経営するとしたら、本当に同じやり方をするだろうか?」

オーナーが望む場所に本拠地を置く。

チケットを売ることを球団経営と考える。

スター監督を連れてくれば強くなる。

そんな「当たり前」を一つずつ疑った先に、後の常勝ホークスにつながる土台が生まれました。

精肉売り場から、プロ野球球団へ。

一見すると、まったく違う世界です。

でも瀬戸山隆三さんは、そこで同じことをしていたのかもしれません。

お客様を見て、人を見て、商売を考える。

経営で本当に必要なのは、

その業界を誰よりも長く知っていることではなく、

「この事業は、どうすればもっと良くなるのか」と、常識を疑い続けることなのかもしれません。

以上

「一流の思考ラボ」編集長でした。


参考資料・出典

・日刊スポーツ「有楽町『アピシウス』で半年間、王貞治を口説き続けた―瀬戸山隆三という男」

・株式会社RIGHTS.「瀬戸山 隆三」


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