なぜニューヨークの真ん中に「何もない場所」をつくったのか|セントラルパークを生んだオルムステッドの思想

ニューヨーク・マンハッタン。

世界中から人とお金が集まり、高層ビルが立ち並ぶこの街の真ん中に、巨大な緑があります。

セントラルパークです。

もし、この土地すべてにビルや商業施設が建っていたら。

どれほど大きな経済的価値を生み出していたでしょうか。

しかし、そこには建物ではなく、

芝生がある。

木々がある。

湖がある。

そして、人々が何もせずに過ごせる場所があります。

なぜ、これほど大きな都市の中に、これほど大きな「余白」をつくったのでしょうか。

その背景をたどると、現代の私たちにも通じる、ある考え方が見えてきます。


急成長するニューヨークに必要だったもの

19世紀半ば、ニューヨークは急速に成長していました。

人口が増え、街が広がり、多くの人々が都市で生活するようになります。

そんな中、1853年、ニューヨーク州議会はセントラルパークの設置を承認しました。

当時、現在のセントラルパーク周辺は、まだ今日のようなマンハッタンの中心市街地ではありませんでした。

岩場や湿地、小さな農地や住居などが点在していた地域です。

そして1857年、セントラルパークの設計コンペが行われます。

応募された33案の中から選ばれたのが、フレデリック・ロー・オルムステッドと建築家カルヴァート・ヴォーによる、

「Greensward Plan(グリーンスワード・プラン)」

でした。

この計画が、現在のセントラルパークの原型となります。


オルムステッドがつくろうとしたのは「公園」だけではなかった

オルムステッドたちが目指したものは、単に木を植えて芝生をつくることではありませんでした。

そこには、もっと大きな思想がありました。

当時、ヨーロッパなどの公園や庭園には、王侯貴族や裕福な人々のためにつくられたものも少なくありませんでした。

一方、オルムステッドはセントラルパークを、

立場や経済状況にかかわらず、さまざまな人が同じ場所を共有できる空間

にしようと考えました。

都市の中にいながら、自然を感じることができる。

裕福な人だけでなく、多くの市民が利用できる。

異なる背景を持った人たちが、同じ景色を眺め、同じ場所で時間を過ごす。

オルムステッドとヴォーは、そんな民主的な公共空間をつくろうとしたのです。


「何もない」ように見える場所には、役割がある

セントラルパークを歩くと、大きな芝生や木々、水辺があります。

一見すると、

「ここには何もない」

ように感じる場所もあります。

でも、そこでは人々が歩き、

芝生に寝転び、

本を読み、

話をし、

ただ景色を眺めています。

オルムステッドが公園に求めたものの一つは、都市生活の緊張から離れ、心を休ませることでした。

そして、セントラルパークの自然に見える景観も、実際には綿密に計画されたものです。

広い芝生。

曲がりくねった道。

森。

水辺。

さらには、園内を横断する道路を景観の下へ沈めることで、交通が公園で過ごす人々の体験を邪魔しにくいよう工夫されました。

つまり、

「何もない」のではなく、
「何もしなくてもいい場所」を意図してつくった。

そう考えると、セントラルパークの見え方が少し変わってきます。


私たちは「空いている場所」をすぐに埋めたくなる

この考え方は、現代の私たちにも通じるのではないでしょうか。

予定表に空き時間があると、予定を入れる。

机に空いている場所があると、物を置く。

会社に余裕があれば、新しい仕事を増やす。

一日の時間が少し余れば、スマートフォンを見る。

私たちはいつの間にか、

「空いている=もったいない」

と考えるようになっているのかもしれません。

でも、本当にそうでしょうか。

何も予定を入れない時間があるから、新しいことを考えられる。

仕事から離れる時間があるから、また集中できる。

余裕があるから、急な出来事にも対応できる。

空白は、必ずしも無駄ではありません。

むしろ、

余白があるからこそ生まれるものもある。

セントラルパークは、それを巨大な都市の中で教えてくれているようにも見えます。


効率を追求するほど、「余白」は価値を持つ

現代では、効率がとても重視されます。

時間を無駄にしない。

スペースを無駄にしない。

人を遊ばせない。

できるだけ多くの成果を生み出す。

もちろん、効率は大切です。

しかし、すべてを効率だけで考えてしまうと、

短期的には無駄に見えるもの

から先に消えていきます。

休憩。

雑談。

考える時間。

何もしない時間。

そして、余白。

でも、新しいアイデアや大きな判断は、予定で埋め尽くされた時間よりも、ふと生まれた余白から出てくることがあります。

だからこそ、

「何を入れるか」だけではなく、
「何を入れないか」も設計する。

これは、都市だけではなく、仕事や人生にも必要な考え方なのかもしれません。


セントラルパークは「空白」ではなく「設計された余白」

現在のセントラルパークは843エーカー、約3.4平方キロメートルもの広さがあります。

しかし、その巨大な空間は偶然残ったものではありません。

都市が成長していく中で、人々が自然に触れ、休み、交流する場所をつくる。

そのためにつくられた空間です。

しかも、自然のまま残しただけでもありません。

芝生も、森も、湖も、道も。

人々が都市の中で自然を感じられるよう、オルムステッドとヴォーによって計画され、つくられていきました。

だから、セントラルパークを、

「ニューヨークの真ん中にある何もない場所」

と見るのは、少し違うのかもしれません。

そこには、

人が休むための場所がある。

人が考えるための場所がある。

人と人が同じ空間を共有する場所がある。

そして何より、

都市が都市であり続けるための「余白」がある。

私たちは毎日、

「次は何をしよう」

「もっと何かできないか」

と考えます。

でも、ときには逆に、

「あえて何もしない時間をつくろう」

と考えてみてもいいのではないでしょうか。

予定を増やすことだけが、人生を豊かにするとは限りません。

何も入れない場所をつくることも、一つの大切な設計です。

ニューヨークの真ん中につくられた大きな緑は、150年以上たった今も、そのことを私たちに教えてくれているのかもしれません。

以上

「一流の思考ラボ」編集長でした。


参考・出典

・Central Park Conservancy「Park History」

・Central Park Conservancy「160 Years of Central Park: A Brief History」

・U.S. National Park Service「Central Park」


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